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意識と記憶の渦の中

2012年01月の記事

Yちゃん参上!

Yちゃんは何事にも正面から体当たりする。

Yちゃんはいつも前を向いている。

Yちゃんには周りを巻き込むpowerがある。

Yちゃんは時々恐れを感じる。

Yちゃんはたまには落ち込む。

Yちゃんには人並みはずれたバイタリティがある。

時々周りは疲れる。


でもYちゃんが歩いた後には道ができる。

種をまき、芽が出て、やがて花が咲く。

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余韻

全身に響きわたる音を聞いたとき、余韻がつづく。

細胞が振動し活性化することばに触れた時、余韻がつづく。

どこか懐かしくでも今を強烈に感じるひとに会った時、余韻はいつまでもつづく。

面受

『人から人へ何かを伝える』ということを
先日行った講義で深く考えさせられた。

話は大変興味深く、
聞いているだけでも興奮するような内容。

耳からだけでなく毛穴からも何かを吸収しているような
まさに全身に響いて伝わってくる。

具体的な症例体験のはなしでは
音のバイブレーションに体感を感じる。

ある天才ヒーラーと会った時のはなしでは
その時の情景が思い浮かび、
こころが踊る。


先生を通して私が世界とつながる。

先生のバックグランドを先生を通して感じることができ
それを感じることにより自分の器が大きくなる不思議な感覚。

先生の持っているものの大きさ、深さ、凄さをまざまざと感じた。

この人に教わりたい!心底思った。



今回この講義に行くきっかけを与えてくれた方がいる。

『本読んで勉強するより、実際に会いに行って教わった方が
10倍勉強になる』

『どこまででも会いに行きなさい』と

言われた時、本当にそうだなと素直に思えた。

それはこの方の言葉の背景に
歩んできた道が感じとれ
言葉にリアリティがあったから。

それから間もなく偶然講義の募集を見て、
すぐに申し込んだ。

今日そのことを話したら
大変よろこんでおられた。

そのやり取りの中であったかい幸福感をおぼえた。


言葉が伝わる、根底に共鳴するそれぞれの生きざまがある。

面受。

全自動健康維持装置

やっとのことで家までたどり着き、
倒れこむかのように椅子に座る。

背もたれの大きな一人掛けオットマン付ソファ。

背もたれを深く倒し、手元のスイッチを押す。

心身ともに緩み、至福の時を感じまもなく眠りに入る。

・・・・・・・・・・・・・・

心地よいバイブレーションに起こされる。

気がつくと一時間が過ぎている。

ゆっくり起き上がる。

先ほどまでのストレスフルな気分は爽快。

地の底まで沈みこむばかりのからだの重さは軽快。

これで明日のハードワークへの準備完了。


こんなソファ、いかがかな?

体感する

体感。

普段、施術においても生活中でも
大事にしていること。

前回も触れたが、
病の治った瞬間の体感は決して忘れることのできない
かけがえのないもの。

今まで味わったことのない感覚
自分の輪郭が広がり自然と一体化したような。

ちょっと信じられないかもしれないが、
自分自身、エゴが溶けていく体感。

身心共に『ここちがいい』
としか言いようのない安定した感じ。

今でもまざまざと思いだすことができる。

それでもなぎのようなフラットな心地は
就職活動などの社会活動をしているうちに
次第に失われていった。

まあ、そのまま続いていたら
とても普通の社会生活は送れなかったと思うが。


ともかくこの失われることのない体感が
今のわたしを支える大きな要素になっていることは
間違いない。

先日東京での治療系の講義に行ってきた。
幸運なことに先生の施術を受けることができた。
それも2回も。

あまりのうれしさのあまり舞い上がってしまったが
体感はしっかりからだに刻みこめた。

味わったことのないsharpで的確にポイント
に達する刺激。

ポイントで行っている操作により(私の想像)
様々変化する体感。

『これはスゴイ、本物だ』

その後、午前中いっぱい右手がしびれて
いうことをきかない。

右肩を施術して頂いたのだが
先生はその神経をつなぐようなことを
してくれたらしいことを昼休みに伺った。

小学校の時野球でピッチャーで投げすぎて
肩をこわした。

この施術でもしかすると1カ月後に
痛みなくボールを投げられるかもしれないらしい。

楽しみだ!


またひとつかけがえのない素晴らしい
体感を味わうことができた。

この感覚の記憶も決して忘れることはないであろう。

意識と記憶の渦の中

今回ブログ開設するにあたって、『タイトルどんなものにしようか』とお風呂でぼーと考えていたら
不意に『意識と記憶の渦』という言葉があたまの中に浮かびました。

『一体何の意味なのか』とは思いましたが、
すぐに何を意味しているのかがわかりました。

17年前に慢性疲労症候群を克服した時のことです。

その頃の様々な出来事はおいおい書いていこうとは思いますが、
ここではわたしが病気が治ったと思った瞬間のことを書きたいと思います。

慢性疲労症候群に罹患して4年目の11月のことです。
その頃は漢方薬、はり治療でだいぶ回復はしていましたが、
まだわたしは『治ったぞ!』と力強く言えるほどではありませんでした。

そんな日の夜、
無性に胸騒ぎがしてじっとしていられなくなり
やむなく
散歩に出かけました。

あちこち歩いていても一向におさまらず、
気付くと姉の家のそばにいました。

姉の家に行って、
自分の状態をものすごい勢いで話しました。

すると姉が、
『ずいぶん元気に見えるけど、病気治ったじゃないの?』
こう言うのです。

自分でもそうかもしれない、
とは思えましたが、
まだまだ落ち着かない
いてもたってもいられない
何だかわからないけどここにいられない
という感覚はますます強くなり、
姉に車を借りて一晩中あちこち走りました。

しかしながら状態は変わらず・・・

少しおなかがすいたので、
コンビニでおにぎりを買って近くの公園のベンチで食べていました。

だんだん夜が白々と明けてき、
鳥が『チュンチュン』鳴き始めました。

ベンチに座りながら
『なんて気持ちがいいんだろう』
『朝がこんない気持ちがいいなんて今まで忘れていたんだな』
と気持ちよさを
『ぼー』と味わっていました。

すると段々と自分の輪郭が広がって
空気との境が薄れて
自然と自分が一緒になった
一体化したような
得も言われぬ体感に包まれました。

いままであった落ち着かない感覚は
信じられないことに一瞬にしてなくなり
心がなぎのように穏やかで、
心地よい
時間が止まったような感覚に覆われました。

この瞬間私は病気が治ったと確信しました。

自分の輪郭が広がっていく意識と
なんだか懐かしい感覚が混然となっていました。

その後、検査結果も良好で原因不明の血尿もなくなり
17年間再発もしていません。

本当に病気が治ったのです。

その体験の後すぐにそれまで在籍していた
大学院をやめ、
治療家になることを決意しました。

この体験が私の治療家としての原点であり
ベースキャンプのようなものであり、
今でもその感覚なしに施術することは考えられないぐらい
大事なものです。

その時の感覚を言葉で表すと
『意識と記憶の渦』

17年ほど経った昨日のお風呂で言葉が降りてきました。

これから日々の中で、
私の『意識と記憶』を刺激し呼び覚ますようなことを
発信していきたいと思います。
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